その深い愛、母にありがとう.『 カムサハムニダ 』

 

患者さん(Aさんとします)の御手紙を紹介しますが、その前に少し説明が必要です.Aさんは、私と同年代で、従って50歳前後の男性です.数ヶ月前に私の外来を初めて受診されました.病名は「静脈性血管奇形」で、比較的というか、かなり大きな顔面の病変です.20数年前にある病院で、外科治療を受けられ、その後、あまり病院を尋ねることはなく、久しぶりに私の病院に来られました.顔面の大きな病変で、治療の難しさもありますが、患者さんとして、周囲との関わりの中で、短時間の外来では語れない、いろいろな思いがあったと感じました.そのようなお話をする中で、Aさんは、同じような病気で悩んでおられる患者さんへ、自分の経験とか、思いを伝えることで、少しでも役に立つのであればいいのだけれども、という話になりました.私は、よければこのホームページにメールを頂ければ、掲載します、ということになりました.個人情報を消すために、お名前をAさんとし、内容は少しぼかしてありますが、オリジナルと趣旨は変わらない様に配慮したつもりです.


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私は、西日本のある地方都市で、在日韓国人の家族の6人兄妹の一番下に、生まれました.


この世に生まれて、それからはや50年近く経ちました.


生まれた時、顔にあざがあり、『びっくり』 『何でこんな子が生まれたんやろ』と、母が何時も自分のせいで生まれたんや、何人も子供を下ろしたから、自分に罪があると思っている、と言っていました.貧しさゆえに・・・


幼少のころは、何も分からないまま育ちました.記憶では5-7つぐらいに、家族が大きな大学病院に行きました、『この子は手術したら死にます』と、言われたそうです.そのころ家は貧しく、いつも母が私を抱いて泣いていました.何度か記憶にあります.


そのころ、口の中に血管腫(正確には静脈性血管奇形です)があり、自分の歯で噛み、血が口の中から出て、兄妹が慌てて口の中に、ちりし〔今のティッシュ〕を多めに入れて、20分〜30分我慢しました. とても嫌でした.一回だけ小学校一年の給食の時、噛み口から血が出て、クラスメイトも 『びっくり』 .慌ててクラスメイトが上の6年の姉ちゃんを呼んで来て、ちりし 入れ、それから家に帰りました.


でも、幼少小学校のころ、不思議に イジメ られなかった.

たまには、指をさされて 『 タンコブ、オバケ 』 と、二〜三人で、言われ. じっと我慢していました. そういう子も段々、分かって イジメ が、なくなっていきました.


昔の子供は ヒネ てない.今の子供のイジメ方は、 インケン と思う、

子供は悪くない、そういう子に育てた 親や周りが悪い !!


何時も自分の心の中で思っています.みんなに、ありがとうございます.



先生、この続きは又メールします.短い文章でも色々考えて昔の思いが浮かんできて何時間もかかりました.


平成20年9月23日記



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